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オスカー・ワイルド (Oscar Wilde, 1856-1900)

 

アイルランド出身の劇作家、小説家、詩人。1856年10月16日、ダブリンに生まれる。父ウィリアム・ワイルドは外科医で著述家、母 ジェーン・フランチェスカ・ワイルドは「スペランザ」(“Speranza”)という名で文筆活動をするナショナリストであった。

 

1871年から74年までダブリンのトリニティ・カレッジで古典を学び、特にギリシア文学で74年最優秀賞に選ばれ、奨学金を得て79年までオックスフォード大学のモードリン・カレッジで学ぶ。ラスキン(John Ruskin)やペイター(Walter Pater)の影響を受けて唯美主義を唱え、自らも服装や部屋の装飾などで実践し有名になる。このような唯美主義が、ギルバート・アンド・サリヴァンのオペラPatience (1881) の風刺の対象となって話題を呼び、ニューヨークでも上演されて成功を収めると、ワイルドはそのプロデューサーに誘われ、アメリカ、カナダへと講演旅行へ赴 き、150近くの講演を行い人気となる。その後、1884年にコンスタンス・ロイド(Constance Lloyd)と結婚し、2人の息子(Cyril と Vyvyan)が生まれる。

 

代表作には唯一の小説『ドリアン・グレイの肖像』 (The Picture of Dorian Gray, 1890)、長く人気を得ている戯曲『真面目が肝心』 (The Importance of Being Earnest ; 1895年2月セント・ジェイムズにて初公開)、もともとフランス語で書かれた悲劇『サロメ』 (Salomé; 1896年パリにて初上演)、息子のために書かれた物語『幸福な王子』 (The Happy Prince and Other Stories , 1888) などがある。

 

しかし、1895年、ワイルドは同性愛の罪で逮捕され、有罪判決を受けて、2年間の獄中労働を強いられる。獄中での生活はワイルドに肉体的にも精神的に も大きなダメージを与えた。特に、レディング牢獄は劣悪な環境のため、ワイルドは1897年5月の出所後、5月28日付けのDaily Chronicleで、当時の刑務所内の悪条件とその制度を公然と批判した。そしてワイルドは刑期を終えるとすぐにパリに渡り、セバスチャン・メルモス (Sebastian Melmoth) という名で過ごす。1898年2月には長編詩 “The Ballad of Reading Gaol” をC.3.3.という自らの囚人番号で発表するが、90年11月30日にパリにて死亡する。 (N. M.)

原詩(英詩)
1.Ballade de Marguerite
2.The Ballad of Reading Gaol
3.The Dole of the King's Daughter