ロバート・グレイヴズ (Robert Graves, 1895-1985)
1962年桂冠詩人。1895年7月26日、アイルランド詩人アルフレッド・パーシヴァル・グレイヴズ(Alfred Perceval Graves)を父に、ウィンブルドン(Wimbledon)に生まれる。チャーターハウス・パブリックスクールに学んだが、そこで学校教育の偽善的で反 知性的な側面を知る。第1次世界大戦勃発の1週間前に学校を辞して、王立ウェールズフュージリア連隊に入隊しフランスへ赴いた。1916年にフランス北部 ソンムの戦いで重傷を負う。グレイヴズ戦死の誤報が流れ、21才の誕生日のタイムズ紙で自らの訃報を目にした。グレイヴズは、パブリックスクールの生徒と して知見してきた世界と戦争という現実との間の深いギャップを知る。グレイヴズの同世代では、3人にひとりがこの戦争で命を落とした。1929年に自伝 『すべてに別れを』 (Goodbye to All That) が書かれ、そこには第1次世界大戦が蝕んだ、社会的文化的安定への決別が表現されている。大戦の終わり頃、グレイヴズは芸術家でフェミニストのナンシー・ ニコルソン(Nancy Nicholson)と結婚。しかし、この結婚は失敗に終わった。結婚後間もなく、ナンシーはグレイヴズを非難すべき世の男性のひとりとみなしたからであ る。大戦後にはオックスフォード大学で学び、そこで精神科医のW・H・R・リヴァーズ(W. H. R. Rivers)と出会い、リヴァーズはグレイヴズを精神医学に基づいた詩の理論へと導くことになった。1920年代の終わりまでにはグレイヴズは詩作で行 き詰まるようになっており、その打開のために、アメリカ詩人ローラ・ライディング(Laura Riding)と共同制作を始め、ふたりはイングランドを去ってマジョルカ島に住んだ。ふたりの共同論文のひとつは、大いなる情熱と想像力に関する『モダ ニスト詩概観』(A Survey of Modernist Poetry, 1927)であり、ウイリアム・エンプソン(William Empson)が『曖昧の七つの型』(Seven Types of Ambiguity, 1930)の執筆に恩恵を被ったと述べているものである。第1次世界大戦で生涯にわたる心の傷を負ったグレイヴズは、愛の成就を追求した。『白い女神:詩神の歴史の入門書』(The White Goddess: A Historical Grammar of Poetic Myth, 1948)では、「詩の主たるテーマは男女の関係にある」(‘the main theme of poetry is the relations of man and woman’)と述べている。また、『英国バラッド:批評』(The English Ballad: A Short Critical Survey, 1927)と『英蘇バラッド集』(English and Scottish Ballads, 1957)は、グレイヴズが20世紀の優れたバラッド批評家であることを示している。 (H. N.)
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