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アルフレッド・オースティン (Alfred Austin, 1835-1913)

 

1835年5月30日、イングランド北部のリーズ(Leeds)近く、ヘディングリー(Headingley)に生まれる。詩人、小説家、批評家、ジャーナリスト。テニスン (Alfred Tennyson) の後を継いだ桂冠詩人 (1896-1913) でもあった。

 

もともとは法律を学んでおり、1856年に弁護士になるが、駆け出しのキャリアを捨てて文学に転向する。1855年にはすでにRandolph: A Poem in Two Cantos を出版していたが、58年に小説 Five Years of It を出版。作品としての評判はあまり良くはなかったが、オースティンはその後50年間コンスタントに出版し続け、数多くの作品を残している。政治記者としては保守派として知られており、30年間『ロンドン・スタンダード』(The London Standard )の海外部門のリーダー・ライター (1866-1896) であり、また、1883年にはコートープ (William John Courthope) とともに『ナショナル・レヴュー』(The National Review)を刊行し、その編集者を務めている (1883-1895)。

 

バイロン(George Gordon Byron)やスコット(Sir Walter Scott)の影響を受け、叙事詩や物語詩、劇詩を詩的表現の最高の形式とし、シェイクスピア(William Shakespeare)やミルトン(John Milton)を模倣する価値があると考える一方、The Poetry of the Period (1870) ではテニスンやアーノルド(Matthew Arnold)、ブラウニング(Robert Browning)、スウィンバーン(A. C. Swinburne)、ホイットマン(Walt Whitman)らの作品を「女性的」で「子供っぽい」と批判。しかし、オースティン自身も二流の詩人とみなされることが多く、桂冠詩人としての地位は彼 の詩的才能というよりもむしろ保守党への政治的貢献によるものと考えられることが多い。特に桂冠詩人としての最初の詩「ジェイムソンの侵 攻」(“Jameson’s Raid”)は、任命後10日で『タイムズ』誌(The Times)に掲載されたものだったが、酷評され、Punch でも‘Alfred the Little’と風刺されることとなり、それ以降も批判の的となることがしばしばあった。

 

オースティンの名声は主に自然や英国式庭園への愛を描いた素朴な散文にあり、The Garden that I Love (1894) と In Veronica’s Garden (1895) は好評を博し、彼の最も良い作品とされている。 (N. M.)

原詩(英詩)
1.At San Giovanni del Lago
2.Ave Maria
3.The Death of Huss
4.The Last Redoubt